7月6日(木)
仕事が第一関門を通過したので、音楽を聴きに行った。 オール・モーツアルト・プログラム。 このオケは、日本のいろいろなオケのコンサートマスタークラスの名手が集まったオケで、名古屋での定期公演は、今年で12回目を数える。 指揮は、大友直人。 メンバーには、N響のコンマスの篠崎さんや第一ヴィオラの店村さんらが名を連ねる。 一度、聴いてみたいと思っていたが、今回は、モーツアルトの未完のトリプルコンチェルトに三枝成彰さんが補筆をしたものを演奏するということだったし、仕事の第一ラウンドが終わる日だったので、チケットを買っておいたのだった。 篠崎さんの演奏は、聴いたことがあるが、店村さんをじかに聴いてみたいという気持ちもあった。 ヴィオラのレッスンで、先日渡された楽譜が手強く、くじけそうになっているということもあった。 ヴィオラの素敵な演奏を聴いて、「弾きたい!」という気持ちを高めたいと思ったのだ。 演奏前に、三枝氏のプレ・トークがあるというので、早めに行った。が、着いたのはぎりぎりで、ちょうど始まったところだった。一緒に行った友人は、もう席に座っていた。前から3列目のど真ん中である。ソリストがいる場合、やはり前で聴くのが好きだ。演奏者の息づかい、表情、緊張感、そういったものがよくわかる。そして、コンマスとのアイコンタクトも、、、 でも、シンフォニーは、前はよくない。管楽器や打楽器の様子がまるでわからない。私は、管楽器がつぎつぎとソロを受け渡して行く場面がある曲が好きだが、そういうのを見るにはバルコニー席がいい。指揮者の横辺り。弦楽器のコンチェルトがないときは、できたらS席の一つ横のA席を取りたい。・・・なんて、うまくはいかないか。ま、今日はマーラーなんかとは違い、モーツアルトなので前でもいいか〜ということで、そのままその席で最後まで聴いた(?) ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ のための協奏交響曲 イ長調(三枝成彰・補筆) この曲は、1779年から80年頃に着手されたが、134小節のみで作曲は中断され、断片として伝えられてきたものだそうで、1990年に国際モーツアルテウム財団が三枝に補作委嘱を行った。モーツアルト没後200年にあたる翌1991年の命日、12月5日にザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団によって初演されたのだそうだ。 モーツアルトっぽくつなげてあるのかというと、必ずしもそうではない。作曲家のメモには、何やら難しいことが書いてあったが、とにかく、とても東洋的なというか、現代的な音楽だった。CDを買おうかとも思ったが、なんとなくやめた。理由はうまく言えないが、繰り返し聴こうという気持ちにはならないような気がしたから。 交響曲第40番 ト短調 誰でも、その第1楽章の冒頭を聴くと、「あ〜これか〜」と思う、とても有名な旋律。ポピュラー曲にもアレンジされている。モーツアルトの晩年の、悲惨な生活の状況下で作曲した三大交響曲のうちの一つ。30番・41番とは違い、短調で書かれ、暗く悲劇的な雰囲気に覆われている。シューベルトが目に涙を浮かべて聴き入り、小林秀雄が「疾走する悲しみ」と評した大曲である。モーツアルトと言うと、明るいというイメージがあるが、この曲の全編に流れる彼の深い、壮絶とさえ言える悲しみに思いを馳せるのもいいかもしれない。 交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」 第40番のちょうど半月後の8月10日に書き上げられたモーツアルト最後の交響曲。ジュピターというと、ホルストのジュピターの旋律を使ったポピュラー曲がヒットしたのが記憶に新しい。 が、このジュピターは、木星とは違う。ローマ神話の最高神のことである。ギリシア神話では、ゼウスにあたる。まさに、神々しい曲。この1曲を聴いただけでも、モーツアルトは天才だったと納得できる。 さすがに、各オーケストラの首席奏者たちである。大友さんのしなやかな指揮に合わせ、まさにモーツアルトの華麗な世界を作り上げた。 今まで何となく、「モーツアルトねえ・・・」という感じがあったが、「モーツアルトって、素晴らしい!」と、再認識することのできた夕べだった。
by kimukimulife
| 2006-07-07 00:44
| クラシック
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